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「恋」を知らない少女の話

こんにちは。【NOT≠EQUAL】に取り憑かれた男、あーとです。
ということで今回も懲りずに【NOT≠EQUAL】のこと書いていきます。
今までで一番納得できてしまう解釈になってしまいました。
※当たり前ですが【NOT≠EQUAL】、というか三峰結華という少女のネタバレが含まれます。注意してください。
怪文書の匂いがします。
では早速、本文は続きから!

*11/14追記:修羅場概念を見て


自分のことに少しだけ踏み込んでくれた人に、自分はこういう人間だと、こんなにどうしようもない人間なんだと、それを語るだけ語ってあとの反応は相手に任せる。三峰結華は、そういうタイプの人間だと感じました。
そういう人間は、“恋”というものを知りません。だって、すぐに“好きかも”なんて思ってしまうから。
そういう人間は、相手に依存しがちです。だって、自分の話を聞いてくれたから。
そういう人間は、勘違いしてしまうのです。このヒトなら、自分の全てを理解してくれるだろうと。
そして、そういう人間は、正しい距離感を理解できません。距離感が間違っていたことだけはわかるのに。
最後に。そういう人間は、必要以上に自分を着飾ります。“本当の自分”を悟られないために。他人とは違うアイデンティティを手に入れるために。

でも1つだけ、わからないことがあるのです。
“何故”三峰結華は、このような性格になってしまったのか。ここだけがわからないのです。

自己肯定感が低いことは確実です。
でも、自己肯定感の低い人間は、そこに至るまでの理由があるはずです。だって自分に満足していれば自身を肯定して生きていけますからね。

例えば。
周りの人間に否定され続けた。
何も出来ない自分に失望した。
何もしようとしない自分に嫌気がさした。
とかでしょうか。
ですが、この“理由”については、ほぼ確実に語られないと思います。(アンティーカもサポート全部持ってるわけじゃないから既に語られてるかもしれないけど)
何故なら、もう語る必要がないからです。この理由は後述しますね。


とりあえず、コミュごとに解釈を。
まず1つ目、『これが間違いなんだとしたら』
三峰はプロデューサーに、雰囲気が変えられるという「結華の強み」を指摘された際に動揺します。
ここで気が付いたのは、このときの結華は着飾っているから、プロデューサーに指摘されたものは、“本当の結華”の強みではないということです。恐らくここで結華は、“着飾っている自分”をプロデューサーは見ている、むしろそちらしか見ていなかったのでは? そう考えてしまったのだと思います。

もしも貴方が“本当の私”を見ていてくれなかったのだとしたら、貴方の瞳に映る私は、誰なんだろうか。

最後の部分は、さしずめこんな感じでしょうか?


2つ目『動点Pとの距離を求めよ』
貴方の“特別”でないのなら、本当の私を見てくれているのでないのなら、「結華」だなんて呼ばないで。

今まで本当の自分を見てくれていると「勘違い」していた。
それなのにも関わらず、貴方は“本当の私”を見てくれていなかった。
はっきりこう思っているわけでは無いはずですが、三峰のショックはそうとうなものだったでしょう。
なぜなら三峰は、「裏切られた」のだから。
『だから守って、踏み込んで』で、理解してくれていたのだと思っていたのにも関わらず、貴方は何もわかっていなかったのか。そう思ってしまうでしょう。これは恐らく自分自身への哀しみ。決して「大切な貴方」への怒りなどではなく、全て私のせいなのだと。

こんなに悲しいことがあるでしょうか? たった19歳の少女に、何故こんなにも辛いことを突きつけるのでしょうか? こんなことが許されても良いのでしょうか?
僕は、プロデューサーへの怒りが止まりませんでした。


3つ目『雨の中(二度目の)正解をくれた』
プロデューサーは三峰を探します。

──無責任にも。

その理由は1つだけです。
プロデューサーだから。
“特別”だからではありません。

「私は、アイドル。三峰結華は、アンティーカのアイドル」
私は貴方の“特別”じゃない。ただの「担当アイドル」なんだと。辛すぎる。
そして。

「──あはっ、そっか」

「プロデューサーなら、普通のことか」

そう。“普通”のことなのです。
確かにこれは<正解>です。でもこれは一度目の正解とは別のもの、アイドルとは“着飾るもの”だということです。
プロデューサーはこの先も本当の結華を知ることはないでしょう。何故ならプロデューサーと結華は違う人間だから。プロデューサーがいくら理解しようとしても、それには限界があります。だって違う“人種”のこと、どう頑張っても全ては理解できません。

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ふざけるな! ふざけるな! バカヤロー!
これ以降のコミュは怒りの感情しか出てこなかったのでコミュごとの解釈はここで終わりです。
ここまでのことで僕が何を言いたいかと言いますと、結華とプロデューサーは、決して分かり合えていなかったということです。
結華の一方的な依存に、プロデューサーの一方的な勘違い。
そして、結華がプロデューサーへ恋をしていたのかと聞かれれば、僕の答えはNoです。
「好きかもしれない」という、曖昧な思いであるだけです。
この感情は書き表すことができません。
なぜならこの感情に名はないのだから。
尊敬であるかもしれない。信頼であるかもしれない。友情であるかもしれない。確かに、恋かもしれない。
でも、まだこの感情には名前が無くて。
自分自身でさえも、わからないのです。

じゃあサマーキャンペーンの『浮かれないようにって言い聞かせた』はなんなんだ、って話ですが、これも恋からくる「大好き」ではなく、自分のことを理解してくれる(と思い込んでいた)人への感謝を込めた「大好き」です。

でも、そんなことはどうでもいいのです。
本当に大事なことは、結華は距離感を間違えたと思ったこと。
プロデューサーは結華の思いを知り得ないこと。
距離感を間違えたということは、距離感の取り方を知らないということです。
どういうことかと言いますと、結華は相手のことをあまり考えられていないわけです。
これでは、自分自身が恋をしているかどうかなんて、知りようがありません。自分自身がどのような想いを抱いているのかなんて、知りようがないのです。
だって、自分のことしか、いや、自分のことさえも、考えられていないのかもしれないのだから。

そして、結華が自己肯定感の低い人間になったことが語られないだろう理由ですが、これはもう単純で、プロデューサーが結華のことを理解出来ないのであれば、語ったところでどうしようもないからです。もしこれを結華が語ってしまえば、きっと彼女はまた、彼が理解してくれたと「勘違い」してしまうでしょう。それではこのカードの意味がありません。

三峰結華は断じてPラブではなく、語られる物語は「恋」を知らない少女が、「アイドル」という名の偶像へと、憧れられる存在へと成長していく物語なのです。


冷静になりました。ということで、コミュの解釈の続きです。

4つ目『答え:アイドル三峰結華』
結華は、「アイドル」であることを選択しました。
つまり、“着飾った自分”を見せることを選びました。
担当アイドルとプロデューサーの関係だから、勘違い(≒好きかもしれない)をしてはいけないから。
これで吹っ切れたのかと聞かれれば、わからないとしか言えません。
何故なら結華は、本当の想いを胸に秘めているから。

確かに“正解”なんですけどね。
どうしても僕は、プロデューサーの対応が許せません()


True『……頼ってもいいですか?』
もう距離感で悩む必要もないから、家に上げても大丈夫なのでしょう。
どこまでも表面上の関係だと突きつけるような、辛いTrueだと思っています。──でも。

ここまでプロデューサーへの怒りを露わにしてきましたが、プロデューサーにだけ非があるわけでは無いと思っています。
プロデューサーは三峰を理解できないと書きました。
もちろんです。相手の人間の“全て”を理解することはできません。
でも結華は、プロデューサーにそれを求めてしまっていたとも思います。
非はどちらにあるかと聞かれれば、正直結華寄りでしょう。
なればこそ、2人は“表面上の関係”からやり直すのです。
自らの感情を識るためにも。
【NOT≠EQUAL】は、三峰結華とプロデューサーの、再スタートを切るカードなのです。
だから、散々ネガティブなことを書きましたが、このシナリオは、晴れやかであるべきなのです。
とはいえ、2人の関係で何かが変わることはありません。結華は今まで通りプロデューサーとの恋人ごっこを続けますし、プロデューサーもプロデューサーで結華に対して何か特別な行動を起こすこともありません。
プロデューサーと結華、似ているところもあるんですけどね。


最後に感想というか思ったことを……
最初に書いたようなタイプの人は、自分を着飾ることを繰り返すことで、所謂“本心”がわからなくなることがある気がします。
人間誰しも仮面を被って生きているじゃないか、っていう声も聞こえそうですが、こういうタイプの人間はより深く仮面を被ることで、自分を隠して生きています。
要するに、三峰結華というキャラクターは、キャラクターの域を超えてしまっていると思うのです。

以上、怪文書でした。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

<11/14追記>
甘奈と修羅場、って話を見てて思ったことを。
上にも書いた通り、三峰結華はプロデューサーのことが好きなんですか? って聞かれたら答えはYesです。
でもそれは「恋」ではない。まだ三峰は、その人のことを考えると胸が苦しくなる、みたいなところまで来ていないと考えています。
だから僕は、甘奈と修羅場になった際に、結華は「私は本当にプロデューサーのことが好きなのだろうか」と自分自身に問いかけてしまうと思うのです。
でもこれも、“今までの三峰結華”であればそうなのでしょうが、“≠を経た後の三峰結華”だとちょっとわからないですね。
だって“表面上の関係”ですから。
これ、SSにでもしたいですね。

誤解を招きそうなので一応……僕は修羅場概念大好きです。


「恋」って、なんなんでしょうね?